Diary
2020.08.15
Dairy:日記、毎日の出来事を記す備忘録。
それが文字でなくても、人々は心に思い出を刻んでいる。
LYRIC
Diary
おやすみが朝を連れてくるように
とりとめないことでも
持て余していた日記が
埋まっていく 君となら
最後の一口でさえも春の匂いも
言いかけた言葉も
ここにあるすべて
欲しがる君を欲しくなった
君と僕だけの世界で
噛みつきあって 馬鹿になる
どんな嘘をつけば良かった
さよならの中で
運命のフリをしてしまった只の偶然も
守れない約束も
君を通して覗きこんだ世界が消えるなら
さよならは何を連れてくるだろう
未読にした想いなら
無邪気に綴った日記が
またほら
見つけてしまうから
君が僕だけに染まって
なんて想像して嫌になる
どんな顔をすればよかった
鏡のない場所で
空をなぞって
呼ぶ声は雨音に掻き消されて
絡んだ指が離れて
取り返しのつかない朝がまた登ってくる
苦痛が消えていく それすら拒んでいる
優しい過去に守られて
二人だけの世界で
迷子になれたら
君と僕だけの世界が
痛みのない痣になる
「明日があるせいで今日が
終わってしまうね 」と言った
そして僕だけの世界で
白いページは続いていく
どんな風に思えばいいんだろう
さよならと書いて
また消した
COLUMN
昔の偉人が人は何でも忘れるし、何でも慣れると言っていた。一方で最近の心理学的研究ではほとんどの激情と記憶は、誰でも時間と共に消失すると伝えていた。
大切なものを失った時は、本当に苦しい。自分の体が捥げ落ちるような感覚を覚える。それは肉体的な痛みよりもずっと苦しいものに感じて、心全体が痺れたようになり、何もする気が起きなくなる。かつて、僕はその喪失の感覚を覚えたことがありました。心が無意識に、懸命にそれを癒そうとして、消し去ろうとする。でも、頭がこれを否定する。何かを失ったという感覚そのものを、失いたくなかった。その痛みこそが、失ったものがかつて存在した証明になるから。僕は、人が何かを願って叶える事と、何かを願っていたのに諦めてしまう事が、究極的には同じことなんじゃないかと思っています。人がそれを追いかけなくなり、解放されてしまう、という点で。痛みを諦める事は本当に癒しなのか。僕には分からない。傷が出来ても、いずれは消える。切なさすらも、消える世界。それは、誰かにとっては自然な事、でも誰かにとっては不自然な事。もしかしたら、何かを必要とする、欲しいと思う、追いかける、求める時間というものは、人生において何よりも大切な時間なのかもしれません。主人公の「僕」は最後まで「さよなら」という言葉を書ききる事が出来ず、世界から静かに身を引きます。