作曲
w-m

2018年始動。
メンバー石濱のみの一人バンドと称し、w-mとして開始したソロプロジェクト。
テーマを「ダウナー/アイデンティティ/モラトリアム」に定め活動中。
作詞作編曲からレコーディング、MV制作などのほとんどを一人で手がけ、サブコンセプトでもある
「一人でもロックを発信する」ことを目標にしている。
2018年5月頃よりオケとの同期ライブを始めたのち、現在ではサポートメンバーを入れてのライブを行い、
これまでに4回の主催ライブを行う。
2019年10月の自主イベント「Smells of Chaos Vol.4」をもって、ライブ活動の休止期間に入る。
現在は制作期間として活動している。

TW:https://twitter.com/@fushigi8888

HP: https://www.w-m-web.jp

2018年始動。
メンバー石濱のみの一人バンドと称し、w-mとして開始したソロプロジェクト。
テーマを「ダウナー/アイデンティティ/モラトリアム」に定め活動中。
作詞作編曲からレコーディング、MV制作などのほとんどを一人で手がけ、サブコンセプトでもある
「一人でもロックを発信する」ことを目標にしている。
2018年5月頃よりオケとの同期ライブを始めたのち、現在ではサポートメンバーを入れてのライブを行い、
これまでに4回の主催ライブを行う。
2019年10月の自主イベント「Smells of Chaos Vol.4」をもって、ライブ活動の休止期間に入る。
現在は制作期間として活動している。

TW:https://twitter.com/@fushigi8888

HP: https://www.w-m-web.jp

関連作品

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Payao×w-m

■以下Payao×w-m(石濱)対談

Payao(以下P) :まずこの度は楽曲mosquitoでご一緒させていただき、ありがとうございました。石濱さんの作ったオケに僕がメロと歌詞を入れて制作させていただきました。

w-m(石濱)(以下石):いえいえ、こちらこそありがとうございました。面白かったですね。

P:まずご一緒させていただいた経緯からお話しすると、石濱さんがTwitterでコラボ募集していたんですよね。

石:はい、そうですね。実験的になんですけどTwitterで呼びかけてみたらどんな反応が来るのかな、と思って。

P:見てすぐ応募させていただきました。というかあのツイート見る前から実際お声かけしようと思っていて。

石:ははは、ありがとうございます。嬉しいです。

P:もっと詳しく言うと僕が作れない音楽を石濱さんが作っていたんですよ。昔から僕はsyrup16geastern youthに憧れがあって、このかっこよさ、才能を自分が持ち合わせていないからより憧れてまして。石濱さんの「喪服を着て死んだ男」を聴いた時に衝撃だったんですよね。これだ!って。石濱さんと曲作ったら夢叶うなぁって思って笑



 

 

石:ありがとうございます。かなりコアな曲になっちゃいましたけどね笑 自分の中でわりかしコアな方のオケに仕上がりました。アルバムも聴かせて頂いたんですけどこの曲はかなり異色ですよね。味になってるといいなぁ。

P:それが良かったんです。鬱々としたブラックな歌詞を書きたかったので、これくらいコアじゃないとブラックな歌詞って書けなくて。気味の悪い曲ができて良かった笑

石:そうですね、共作できて良かったです。ありがとうございました。

P:こちらこそありがとうございました。改めて石濱さんの現在に至るまでの経緯をお聴きしても良いでしょうか?

石:遅い方か早い方かわからないけど、作曲を初めてやったのは16歳の頃からなんですよ。

P:高校1〜2年ですかね?作曲ということはギターはもっと前からですか?

石:そうですね。ギターは14歳の頃から触りはじめて、高校受験が終わった頃に初めてのバンドスコア届いてそれがTHE BACK HORNでしたね。本当にまだちょっとコードが弾けるくらいの時で、バンドを組むとかまだ考えてなくて。音楽やっていることも恥ずかしくて周りに言えなかったんですよね笑

P:あー、わかる。僕も中高生の頃はこそこそ作曲やってましたよ、周りに音楽やってる人もいなかったし。

石:モテるために音楽やりはじめたって人も多いけどオレは恥ずかしかったなぁ、だから本当に仲の良かった友達にだけ「実はオレギターやってるんだよね」って打ち明けて、そしたら「オレもやりたいんだ」って言ってくれたんですよ。それで一緒にバンド組むことになったんですよ。それが初めてのw-mなんです。

P:え!その時にもうw-mなんですね、そこから始まってるんですね。

石:そうなんです、ただオレはボーカルやりたかったんですけど、他のメンバーがボーカルやりたいって言ったのを尊重して最初のw-mではボーカルじゃなかったんです。そこからずっとギタリストで通してきて、実は25歳まで歌はやってないんですよね。

P:そうなんですね!最初からギタボなのかと思ってました。「w-m」という名前はどうやって決まったんですか?

石:15歳の頃、メンバーでバンド名をずっと考えたんですけど、中々決まらなくて。話し合っている中でワードとして上がった「優柔不断」って英語でなんて言うんだ?ってなって。辞書上はweak-mindedだったんですよ。そこからw-mって決めました。今も同じ名前でやっているのはその時の思いを残したいってのと、「weak-mind」って言葉も自分の音楽性にあっていたのでこのまま行こうって。

P:なるほど、最初はコピーバンだったんですか?プロ志向ですぐオリジナルを作ったんですかね?

石:最初はコピーですね、エルレや洋楽もやりました。やっているうちにどんどんバンドにのめり込んでいきました。不器用で、運動もできなかったオレだけど、音楽ならやれる!ってハマっていきました。最初はプロになる気もなかったんですよね、初Liveでも人を誰も呼ばなくて。高2の時に初めてオリジナルをオレが作ってメンバーに持っていったんです。偶然家のmacにgaragebandも入ってたから、全然DTMってレベルではないけど録音機として使って、ギターとボーカルだけ入れて7曲くらい作りました。その時からオリジナル作るのに急激にハマりました。うわーこれ楽しいって。

P:そこから既にgaragebandを使ってたんですねぇ、早いなぁ。オリジナル曲は最初からメンバーはいい反応でした?

石:曲によってですね。いろいろ聴かせているうちに反応が分かれて、でもみんながいいって言う曲もでてきたりして、すごく嬉しかった。根暗の少年が、それまでゲームしたりしか取り柄がなかったのに、急に趣味が作曲になっていたんですよ。ストックでは高2から1年半で140曲は貯めましたね。

P:140!急ピッチで作曲に目覚めていったんですね。高校卒業後はどうしていったんですか?

石:とにかく音楽楽しいなぁって思うようになって。だから単純に音楽でやっていきたい、だったら絶対東京にでたいって思うようになりました。でも親に音楽学校に行きたいって言ったけど許してもらえなくて、だから東京に進学していい大学いくしかないって勉強を頑張ることにしました。その時別メンバーでもバンドを組んでいて、そっちのバンドの方が意識が高かったので、受験でみんなで成功して一緒に東京行こうぜって声かけました。そしたらね、まさか自分だけ受験落ちたんですよ。

P:えー!受験落ちちゃったんだ!やばいですね、浪人ですか??

石:そうやばい。そこでめちゃくちゃ無理言って東京浪人することにしてもらったんですよ。音楽と東京を両立すればいいじゃないかと。高田馬場の学校に行きながら学生寮に入ることになたんです。毎日は基本的には勉強。普通の受験生の休み時間や朝6時から大学の部室借りて練習したりしてました、かなりハードでしたね。

P:凄い執念ですね、浪人しながらLiveもやってたんですか?

石:Liveもやってました。ただ途中でチームメンバーの仲違いもあって、やりたいことがやれなくなっていったんですよね。どんどんメンバーと噛み合わなくなって。そこから多分ね、オレ鬱病になっちゃったんですよ。

P:それは大変でしたね、病気は音楽起因、勉強のストレス?

石:んーわかんないですけど、実は音楽やってることは親にも隠してたんですよ。その罪悪感からかな、わからない。18歳の夏頃から発症してバンドどころじゃなくなったんですよ。

P:それは大変だ、受験はどうだったんですか?

石:受験も上手くいかなくって、最終的に浪人しなくてもいけた大学になっちゃいました。

P:大学からの音楽生活はどうしたんですか?

石:とりあえず軽音楽部覗いて、カバーでとにかくギターの修行しようと思ってコピー400曲やりました。後はオリジナルはずっと作り続けました。その時にしか作れない曲ってあると思っていて、ちゃんと残しておこうと思って。

P:400曲は凄いなぁ、相変わらず量が凄いですよね石濱さん。オリジナルは大学ではやらなかったんですか?

石:浪人の時のトラウマってのもあって、オリジナルのバンドは組まなかったんですよね。いつかいい人いればとは思ってましたけど、恋愛みたいに笑

P:そこから普通に就職?

石:そうですね、社会人になってからも曲の断片はずっと作り続けてました。そしたら27歳の時に、ふと「いつ死んでもおかしくねぇな」って思って、「このままでいいのか?」って自問自答するようになって。で今の形のwーmをやろうっ決意して、準備しはじめたんです。

P:本当にPayaoと同じタイミングでしたよね、多分準備した期間も発信し始めたのと。

石:本当にそうでしたね!そこからHPやMVも作ったり、準備次第どんどんため込んでいたものを発信しまくりましたね。



P:本当に精力的ですよね。活動していくの中で何か葛藤や悩みはありましたか?

石:試行錯誤の連続ですよね。最初はDTMをどこまでやるかは迷ました。今はバンドだけど、DTMerとして活動したら違う世界に入っちゃうかなって思って、一人でもliveを東京でやるようにしました。ただどうしても一人だと音圧が弱くって。そこから2018年終わり頃からサポートつけてバンドとしてliveをやるようにしました。音は各段によくなったし、お客さんもどんどん増えていったんですけど、やっぱり次はコストがかかりますよね。東京でliveだと宿泊費もかかるし、練習のためのスタジオ台も増えていくので今後はどうしようか考え中です。

P:Liveは頻繁にやっていくのは確かに大変ですよね。石濱さんの今後の理想はどういったものになりますか?

石:プロモーションも含めて悩むこともあったんですけど、結局「自分にしかできないものを作る」って言うのをオレは優先したいです。誰かに感動してもらうためとか、かっこいいと思ってもらいたいという欲は勿論あるけど、一番は存在証明をしたい。ここにこんな人間が生きていたんだって言う証拠を残したいなって。そして聞いてくれた人に「こんな人もいて、自分もいてもいいんだ」って思ってくれたら嬉しい。

P:いいですね。核になるものがあって、石濱さんはブレなさそうですね。音楽仲間で話したりすると結構みんな悩んでますよね。

石:そうですね。オレの場合は特に個性派だからこそ、刺さるひとには刺さるから。反応も分かりやすくてとても実感があります。Payaoの音楽はみんなに届く音楽性だからオレだったら悩むだろうなって思うんですけど、こうやって実際話しているとPayaoさんも割と振り切れてますよね。

P:もちろん悩んだこともあったけど割と今は振り切れてますね、僕もPOPS一本だし、自分がやりたいことが自分の中では明確になってきました。SIDE CARもmosquitoが入ってとてもいいバランスのアルバムになったと思います。

石:やっぱり全然違う音楽性の方と組むと化学反応がありますよね、やっぱり違う人だからどうやっても新しいものができる。コラボレーションって自分にはできないことができて楽しいですよね。

P:mosquitoはLive映えするだろうなぁ

石:めちゃくちゃ難しいと思いますけど笑 盛り上がる曲として是非演奏してください!

P:確かに笑 ありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします!

 

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